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小学5年生のとき
妊娠したことで母は実家に帰り、父は夜勤で朝まで帰らないから、俺は10時まで塾で勉強した後、2時くらいまで深夜徘徊に繰り出す習慣があった。
誰にも咎められることなく、駅の立橋、柳生橋近くの高架下、小学校のピロティ(そこのほんの一部分だけwifiが使えて3DSのフレンドリストで友達とチャットができた)
とかを回っていたが、
それに飽きると、イヤホンで音楽を聴きながら自転車を爆走させ、(深夜だからイヤホンを着けながら爆走しても危なくない、と思った。実際は何度も事故りそうになった) 国道1号線の果ての果てを目指そうとしたりした。
本当は小学校の決まりでヘルメットをつけなければならないけど、つけない方が気持ちいいし、自由になりたかった。いろんなしがらみ、家庭のこと、くだらないルール、愚かな大人にガキだと思われていること とか そういうの
その時はイヤホンでsupercellを聴いていたと思う、他にはハチとかbad apple!!とか
たぶん、夜中に外に出てる俺かっけえ...みたいなのから始まったと思うんだけど、何にもとらわれずに、ただ夜風を受けながら自由に走り回って、まだ見たことのない場所まで、そして自分のかっこいいと思う場所で、かっこいいと思う音楽を聴いて過ごすみたいなことに、いつの時か、確かに幸せを感じていた。
俺の敵は家庭環境だった。しかし、6年生になると、ある形でその問題に一応のケリがついた 俺が深夜に徘徊することもほぼなくなった。
たぶん、また行こうと思えば行けたとは思う。
しかし、成長すればするほど身の回りの世界は小さく見えて興奮しなくなっていったし、自分のパソコンを買って好奇心はもっと広い世界に向かっていったし、何よりも、家庭のしがらみに囚われていたからこそ俺が渇望していた自由は、親と別居することによって、一応の形で叶えられてしまった。
だから、衝動は霧散してしまった。
そして今、二度とあの時と同じ幸福感を感じることはできない。あれはあの時だったからこそあった幸福だ。
このエピソードから言いたいことがふたつある。
これが幸福と不幸が表裏一体であることの証しであること、
そして、二度とあの幸福を味わえないことは悲しむべきことではなく、むしろ自分は既に満足しており、これ以上は幸福も不幸も、何も求めていないということである だから、俺は喜んで死ぬことができる。
とは言いつつ、今日の夜、一瞬だけ、今の自分ならあの徘徊の最中にイヤホンで何を聴きたいか考えてしまった。
きっと面白いと思うから、この記憶を掘り返して、ここに残しておこうと思う。