2021/01/16
最近、俺とお母さんが手を繋いで帰っていたときには木下理樹がアートスクールで歌っていたということを考える
何見てるんだ 去れ
旅行に行ったり好きな人に会いに行ったり成人式に行ったりすることは実際にはすべて、かつてあった何かをひたすらなぞりつづける妄執からしていることにすぎない 本当に欲しいものって無い フラッシュバックする景色を追い求めつづけてるのに、正しいと言えることはその出来事が確かにあったということだけだから
情景とか感触の記憶とかは捏造されたものでしかない でも、これにしか縋ることができない 俺はいつも保育園の帰り道の銀杏並木と、渥美線の線路を跨ぐ陸橋を思い出す
渥美線はもうないけど、その陸橋は今もある でも当時の姿ではない
この前バイトでひたすら皿洗いをしているとき、幸せを感じていた 俺はお母さんを愛する気持ちからも憎む気持ちからも解放されていた あえてバイトを始めたのは自己破壊だった 部屋で腐っているよりも、もっと他人がいて、トラブルがあるような環境に自分を放り出したかった バイトが苦になって自殺を考えるようになればいいとすら思った これは自己破壊だったが、過去をなぞり続ける妄執とはひたすら真逆に走り続ける破壊だった そういうふうにしたくなる、つまり、自分を死へと追い詰めようとする時期がたまにやってくる その後俺は息苦しくなって生きようとしてそれをやめて、また殻に閉じこもる これがお決まりのパターン どこまでも情けない
お前が俺のペニスをしゃぶるんじゃないのか
俺とあなたがいたということの証明は目があったときの一瞬の輝きで十分であって、ほかの何にも価値はないと感じる ただ一瞬だけ目を合わせれば、永遠に残るものがある 脳が侵略されています 助けてください
天国でも会える? 会えるならそれで良い